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【DVとは】子ども目線で書かれた絵本『パパと怒り鬼』からDVを考える

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DV(Domestic Violence ドメスティック・バイオレンス)という言葉を聞いたことがあると思います。

「家庭内暴力」や「配偶者からの暴力」という意味で、日本でのDVの相談件数は年間18万件前後(※)あるそうです。
※2022年度には約22万件に増加

参考:配偶者からの暴力(DV)相談件数 | 内閣府男女共同参画局

この数字も、おそらく氷山の一角に過ぎず、実際は相談もできずに苦しんでいる人がもっといるかと思います。

そして、日本に限らず世界中で、多くの人々が苦しんでいる状況です。

そんなDVについて、子ども目線で書かれた『パパと怒り鬼』という絵本があります。

作/グロー・ダーレ 絵/スヴァイン・ニーフース

読んでみて、DVについて考える良い一冊だと思ったので、紹介します。

目次

『パパと怒り鬼』の簡単な紹介

この『パパと怒り鬼』は元々ノルウェーの絵本で、2011年に翻訳出版されました。

主な登場人物は、主人公のボイとパパ、ママです。

ぼくは、ボイ。パパとママの3人で暮らしている。でも、ぼくとママはいつもパパの機嫌を気にしている。ある日のこと、パパの様子がおかしい。ママはぼくに「静かにするのよ」って言う。パパどうしちゃったの。ぼくが何かしたの? パパ怒っているの?

引用:ひさかたチャイルド

出版社の内容紹介文にはこう書かれています。

この文からわかる通り、DVを行うパパと、それに怯えるママをボイ目線で描いており、怒りに任せてDVを行うパパのことを「怒り鬼」と表現しているんです。

さて、この『パパと怒り鬼』は大きく2つのパートに分かれていると思います。

  1. パパが普段の優しい状態から怒り鬼になり、その後、自分のしたことに気付き、後悔するパート
  2. ボイが勇気を持って王様に手紙を書き、救われるパート

それぞれ違うことを伝えたいと感じましたので、少し詳しく解説していきます。

『パパと怒り鬼』が伝えたいこと①:DVの恐怖と苦しみ

読んで感じた1つ目のパートが伝えたいことは、「DVの恐怖と苦しみ」です。

最初のページを開くと、まず目に飛び込んでくるのが、ニコニコでとても優しそうなパパにケーキを持った笑顔のママです。ボイも笑顔です。

絵だけを見ると、とても幸せそうな家族に見えるのですが、文章を見ると、そうでないことがわかります。

パパはおだやかかな?きげんがいいかな?おちついてるかな?

だいじょうぶ、パパはおちついている。いまはきげんがいいぞ!

引用:『パパと怒り鬼』

DVに怯え、常にパパの状態を観察していることが、この文章から痛いほど伝わってきますね。

そして、ページをめくるたび、ニコニコだったパパの機嫌がだんだんと悪くなっていくのですが、ママとボイはパパを極力刺激しないように行動し、時間がとても長く感じられるぐらい、じっと我慢をしている描写がされています。

ですが、そんなママとボイの努力も虚しく、パパは怒り鬼に支配されてしまいます。

絵を担当されたスヴァイン・ニーフース氏は怒り鬼に支配されたパパをとても大きく恐く描かれています。

つまり、これが子ども目線から見る大人なんでしょう。

身長が自分の倍以上ある大人が、怖い顔して向かってくるところを想像してみてください。恐怖以外の何者でもないですよね。

そんな怒り鬼に支配されたパパはママを捕まえ、暴れに暴れ、そして、燃え尽きます。

そこに残ったのは、壊れた家具と傷ついたママ、そして、自分のしたことを知り、後悔をするパパでした。

もう怒ったりしないよ、とパパが言う。

もう二度とらんぼうしない。約束するよ。

引用:『パパと怒り鬼』

この謝罪の言葉はおそらく本心から出た言葉でしょう。自分のしたことに対して、本当に後悔し、懺悔をしているのだと思われます。

ですが、この謝罪の言葉には、ボイの言葉で続きがあります。

このせりふならパパはちゃんと言えるんだ、

まえにも言ったからね、なんども言ったからね。

引用:『パパと怒り鬼』

そう、繰り返される暴力と後悔。

ここから感じたのは、DVの恐怖に怯える家族だけが苦しんでいるのでなく、実は怒り鬼に支配されてDVを行う人も苦しんでいるのではないかということ。

DVを行う人も別に好きでやっているわけではないのです。

ただ、自分の怒りがコントロールできないだけ…

ここまでが1つ目のパートになるのですが、冒頭でも書いたように、このパートでは「DVの恐怖と苦しみ(家族だけでなく本人も)」を伝えたいのだと感じました。

『パパと怒り鬼』が伝えたいこと②:助けを求める難しさと大切さ

読んで感じた2つ目のパートが伝えたいことは、「助けを求める難しさと大切さ」だと思います。

まずは助けを求める難しさについてですが、ボイとママがこんなやり取りをします。

怒り鬼が去った後、後悔しているパパを介抱するママに対して、

外に出たい。ここから離れたいよ。

引用:『パパと怒り鬼』

とボイが言います。しかし、ママはこう返します。

ほかのだれが、パソコンの手助けをしてくれるっていうの?

ほかのだれが、車の修理だの、切れた電球の交換だのをしてくれる?

わたしたち、どこに住めばいいの?

パパなしで、いったいどうやっていくの?

引用:『パパと怒り鬼』

DVを行うパパは恐怖ではあるものの、パパなしでは生きていくことができない。生きていけないのであれば、誰にも言わず我慢するしかない…

こういった経済的事情から誰にも相談できない人はたくさんいるのだと思います。

生きていくことができないということについて、ノルウェーではどうかはわかりませんが、日本では保護され、経済状況によって生活保護を受けることもできます。

ですが、そういうことも知らず、この絵本のママのように、生きていくことができないと思い込んでいると、助けは求められないでしょう。

これが「助けを求める難しさ」です。

次に、助けを求める大切さについて。

ママとのやり取りの後、ボイは外に出ます。

外に出れば、「暴力を受けています。助けてください。」と言うことはできます。

ですが、最初、ボイは助けを求める勇気がありませんでした。近所の女性に会っても、何も言えません。げんき?と聞かれても、うなずくことしかできなかったんです。

DVを受けていることを犬には話せるんです。でも、他の人には話せない…
おそらくですが、ママから言ってはいけないと言われ続けていたため、DVを受けていると言うことは悪いことだと思い、言えなかったのではないかと思います。

そんなボイですが、心の葛藤を経て、最終的に、誰かに話すのではなく手紙を書くことにします。

相手は王様です。

ボイが王様に書い た手紙にはこう書かれていました。

しんあいな王さま

パパはなぐります。

ぼくのせいでしょうか?

       ボイより

引用:『パパと怒り鬼』

胸がギュッと締め付けられます。キミが悪いんじゃないよと言ってあげたくなります。

その後は、手紙を受け取った王様がボイの家を訪れてパパに城で暮らすよう提案し、最後のページでは更生したパパと楽しく暮らせるだろう未来が描かれたところで、この絵本は終わっています。

「話せないのであれば、別の方法でもいいから助けを求めよう。そして、助けを求めれば、キミは救われるよ。だから勇気を出して。」という読者へのメッセージだと感じました。

DVという深刻な問題について考えてみる

最後に、少しDVについて考えてみます。

幸運なことに、私自身はDVを受けたことがないため、DVという言葉は知っていたものの、その恐ろしさ、辛さを知る機会はありませんでした。

ですので、第三者の立場では「そんな環境、逃げ出せばいい」とか「早く助けを求めた方がいい」なんて簡単に思っていたのですが、当事者である人にとっては、色々な事情があって、そんなに簡単なことではないんだと、本書を読んで考えさせられました。
(そもそもみんなが簡単に助けを求められるのであれば、深刻な問題にはなっていないはずですもんね)

では、もしDVを受けている人が周りにいたとして、こちらから働きかけができるのか?

気心の知れた人で、明らかな傷跡や痣が見られるならば、どうしたの?と聞いたり、なんらかの助けを出すことはできるのかなと思いますが、特に仲の良い人ではなければかなり聞きにくいです。

また、意図的に服に隠れる部分にだけ暴力を振るわれていたり、罵倒などによる精神的DVが行われていた場合は、見た目にわからないため、さらに困難になるでしょう。

そうなると、やはり被害者が勇気を持って、相談したり、助けを求めるといった行動を起こしてくれないと、こちらからの働きかけは難しいのかなと感じてしまいます。

次に、もし自分が小学生ぐらいの頃をイメージし、DVを受けていた場合に周りに助けを求めることができるか考えてみました。

結論、自分から助けは求めないと思いました。

『パパと怒り鬼』のように、DVを受けていることを誰にも話すなと言われる(そう言わない親の場合、そもそも親が解決するはず)はずなので、言っちゃダメなことなんだと考えてしまうと思います。

また、子どもの頃なんて、視野も狭く、考えられることに限界があったので、話すことによる影響もよくわからないですしね。

被害者が助けを求めにくい上に、周りの人も働きかけにくい。
こうやって考えると、本当にDVは非常に難しく厄介な問題だとわかります。

まとめ

今回は『パパと怒り鬼』という絵本を通して、DVについて考えてみました。

子ども目線でDVとはどういうものか、そして、助けを求める難しさについて考えさせられる内容です。

絵本という数ページの制約がある中取り扱うにはこの問題は大きく、もっともっと深い問題があるのだとは思いますが、この絵本を通して、DVに苦しむ人(家族だけでなく本人も)や、助けを求める難しさ、そして、助けを求める必要性を少しは知ることができました。

もちろん、この絵本を読むだけでは、DVという世界的に深刻な問題の完全な理解はできないと思います。でも、DVについてあまり知らない人に対してはこういった問題があるよという問題提起に、DVの被害者に対しては勇気を出して助けを求めてほしいというメッセージになると思います。

少なくとも私は、冗談でも「DV受けた~」なんて笑いながら言ってはいけないことなんだなと、認識することができました。

また、大人だけでなく、子どもに読み聞かせをしてあげると、こんな問題があるよという理解の助けになるかと思います。ただ、絵が少し恐いところがあるため、怖がらせてしまうかもしれませんが…

作/グロー・ダーレ 絵/スヴァイン・ニーフース
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